レビュー「フェルトリネッリ」

フェルトリネッリ
そのむかし一九二〇年代のソ連に『出版と革命』という月刊誌があったのを思い出し、いま大著『フェルトリネッリ』を読了して、フェルトリネッリの根本が分かった気がした。かつて〈出版〉と〈革命〉は新世界の両輪だった。本書のヒーローである出版人ジャンジャコモ・フェルトリネッリは、結論から言うと、この思想を戦後三〇年間の短かった獅子奮迅の闘いの生涯で追い求めて、ついに〈出版〉を棄てて潜伏し、実際の〈革命〉行動へと合い渡り、やがて挫折したのだと言っていい。

その波乱万丈の旅を、子息のカルロ・フェルトリネッリが、家族の思い出や記憶、書簡その他の資料、聞き書き調査などの綿密な追跡によって、イタリア戦後史と父ジャンジャコモの個人史の、みごとな一大タブローに仕上げた。原本がイタリアで出版されたのが一九九九年。著者が一九六二年生まれということは、四〇歳を前にして執筆されたことになる。

「フェルトリネッリ社」やフェルトリネッリの名は日本ではあまり馴染みがないだろうが、その名が世界中に知られたのは、ソ連の詩人パステルナークの長篇小説『ドクトル・ジバゴ』(一九五八年)をミラノの自社から世界に先駆けてイタリア語訳、ロシア語版を独占出版したからだった。ソ連当局からの執拗な圧力を撥ねのけて真の〈革命〉のヒューマニズム理念に依拠して、詩人パステルナークを擁護し、敢然として出版し、パステルナークを世界文学に押し出し、ノーベル文学賞への運命をつくった。わたしにとっては前半の全5章のうち4章「『ドクトル・ジバゴ』」が圧巻だった。

ジャンジャコモ・フェルトリネッリは、戦後まもなくイタリア共産党に入党し、ミラノの大富豪フェルトリネッリ家の御曹司としてイタリア共産党の財政支援の有数の一人だったわけだが、彼の真摯な、共産主義への高い理想は、今から見ると、まるでロシアのナロードニキ革命主義者のようであるけれども、同時に財力によって「フェルトリネッリ図書館」を創設し社会主義の古典文献コレクションを蒐集、さらに「研究所」を創設、そこからさらに「フェルトリネッリ出版社」を立ち上げる。

これはもちろん、「出版」によって未来の世界革命を夢見る事業の始まりだった。一族はオーストリアとイタリアの混血。一九世紀半ばから木材業で財をなし、第一次世界大戦、さらに戦間期、ムッソリーニ政権下でも生きのび、木材、繊維、金融、銀行、運輸、電気、不動産その他のグローバルな企業財閥で、叔父と父、その三代目にあたるジャンジャコモ・フェルトリネッリはその遺産で出版人・革命家へと変貌して行く。

本書を知らなければ、この出版人・革命家フェルトルネッリ像を、成り上がりの冒険主義者と思うことだろう。実はわたし自身、『ドクトル・ジバゴ』事件当時にパステルナークの片腕であったオリガ・イヴィンスカヤのパステルナーク回想記を翻訳したので、フェルトリネッリを知っていたつもりだったが、それが偏見にみちていたことが分かった。

なぜ、あのまだ若い、出版社を立ちあげたばかりの、イタリア出版界では青二才のフェルトリネッリが、『ドクトル・ジバゴ』をソ連共産党に反抗してまでして世界にむけて出版したのか。一山当てようというようなことだったと普通は勘ぐる。しかし、その本当のところをわたしに本書によって知り得た。フェルトリネッリはパステルナークには必ず会いたいと願いながらも、ヴィザが出るはずもなく終生会えずじまいだったけれども。

フェルトリネッリのパステルナークへの思いは、ただ不朽の名作『ドクトル・ジバゴ』評価にあるだけではない。子供そのもののような詩人への、誠実な友情の絆が生まれていたのだ。それが本書で初めて公開された二人の往復書簡によって分かる。また、パステルナーク死後に、やがてイヴィンスカヤとその娘イリーナが、フェルトルネッリからもたらされた『ドクトル・ジバゴ』印税に関して外為法違反で逮捕されシベリアのラーゲリへ送られたものだが、この二人の刑期の短縮についても、両人には一切知らせないようにと厳命して、フェルトリネッリ自身がソ連当局へ働きかけて成されたらしいことも判明した。

『ドクトル・ジバゴ』はフェルトリネッリの〈出版と革命〉事業の金字塔だった。そして今、わたしは一九五八年フェルトリネッリ初版のロシア語版『ドクトル・ジバゴ』を手にとって眺めてみる。六三四ページの、装丁がイタリアン・ブルー(アズッロ色)の簡素で美しい本だ。

後半の全5章は、それこそ六〇年代に入って彼が世界を股にかけて革命のために飛びまわる疾風怒涛の歳月、カストロとの出会いからラテンアメリカの革命運動にかかわる神出鬼没の行動の詳細が生々しく報告されている。ここで紙数がつきるが、さいごに、本書はほんとうに見識ある翻訳出版であったと、記しておくべきだろう。

工藤正廣
ロシア文学者、詩人、北海道大学名誉教授。ボリス・パステルナークの詩を多く翻訳、研究している。小熊秀雄賞、北海道新聞文学賞選考委員。