『手のなかのこころ』刊行記念 綿引展子さんに聞く

『手のなかのこころ』刊行記念 綿引展子さんに聞く

この9月に、作品集「手のなかのこころ」を小社より刊行した美術作家・綿引展子さんにお話をうかがいました。

どんなきっかけで美術をはじめられましたか?

版画をやっていた友人に「二人展をやろう」と誘われました。私には、画廊を借りたり案内状を送ったりといったノウハウがなかったんですが、誘ってくれた友人がいろいろと知っていたので、私はもう言われるままに……。

作品を展示していると誉められることもあって、それがとても嬉しかったことを覚えています。

版画というのは、墨で刷る版画ですか?

そのときは木版の色刷りでした。当時、版画の工房に通っていました。プレス機があって、気の向いたときに作品をつくることができる場所でした。教えることもするんですけど、先生はちょっと来るとすぐに帰ってました。
版画をやろうと思ったのは、ホックニーの銅版画集を見て「こういうのを作りたい」と思ったからですね。でも、工房でやってみると、銅版画は色を合わせるのがとても難しい。プレス機は強い圧力で紙をのばすから、うまく色があわないんです、初心者がやっても。
木版は、和紙が水を吸うと伸び縮みするので、色があわせやすかったんです。

綿引さんの絵は、おもに和紙に描かれていますが、版画の経験から和紙が登場したのですね。

そうですね。みんなでまとめて頼むので、私の仕事場には和紙がどさっとありました。木版だから木もたくさんあって、そこから箱のオブジェをつくりはじめます。
当然ながら、作品を作っていても食べられないので、就職を考えました。広告会社でデザインの仕事をしたりしたのですが、いいものだから宣伝するというよりは、仕事として宣伝するためにものをつくらなければならなかったので、次第に気が入らなくなっていきました。
誰かがやらなければならない仕事をしたほうがいいと思い、福祉の仕事に就くことを考えます。それで職業安定所へ行ってみるんです。ところが「きみはイメージだけでものを言ってるだろ」とか言われて……うちひしがれて家に帰ったこともありました。

ひとまず点字のボランティア養成講座に行ってみたりして、そうこうするうちに、人の紹介で盲人団体の職に就くことができるんです。そこは盲の方たち自身で運営された組織だったので、一部の事務員以外はすべて盲の方でした。
全国団体だったので各地から人が訪れていろいろなことを話して帰っていきます。不思議なところでしたが、そこにいる方たちはとにかく明るくて元気でした。そこでものすごいパワーを受けるわけです。「人間っていいなあ」と。
私はそのころちょっと卑屈だったので、そんなこと思ったこともなかったんだけど「人間がいいなら、私もいいかもしれない」と思うんです。そこで私のことをまず話そうと、箱の中に自分の写真をいれたはじめての作品ができたわけなんです。

自分の写真を箱にいれて作品とすることに抵抗感のある人も多くて、「すごく面白い」といってくれる人と、「なんだきみ?」って感じの人と、評価がまっぷたつにわかれました。わたしはそのとき、これが評価されることだと感じました。「ま、これでいいんじゃないの?」なんていわれていたのは評価の対象にすらなっていなかったんじゃないかと。そう考えて、私の作品を嫌う人もいたけれど、これで行こうという決心がつくわけです。

その後自分の写真を箱にいれる創作形態を十年くらい続けていきます。最初は14センチくらいのものでしたが、次第に大きくなって、最後には2メートルくらいのものも作りました。最初は写真のコピーをいれていましたが、大きくなるにつれて自分の写真を鉛筆でなぞったり、描いたりするようになっていくのです。

それは自分の写真を横において描くということですか?

そういう場合もあるし、スライドで投影してなぞったりすることもあります。とにかく写真があって、絵を描いていました。なにもないところから絵を描くことはほとんどなかったです。