『写真論』30年 近藤耕人

スーザン・ソンタグが初めて来日した1979年は、批評家として、作品批評を伝記的歴史的、あるいは様式的批評から解放・独立させ、作品それ自体にその意味と価値を発現させるというラディカルな姿勢で戦闘的な批評論を展開し、ヴェトナム戦争批判のチャンピオンとなり、ベンヤミンの芸術と政治と大衆についての発言と、ロラン=バルトの直感的感性の理論化の試みの両方を自分の肉とし、その肉体の癌の痛みとも闘いながら、最後は9/11の同時多発テロに際して、チョムスキーとともに米国の悪を公言して国中で袋叩きに会いながらも、批評精神の衰えを見せることなく、日本ののつなみも原発の崩壊と地球のエネルギーの危機を見ることもなく、2004年に人間の生を終えた。

私と同年同月同日に生まれたソンタグの戦争と人種問題と病いとの闘いと苦難の生涯を生き抜いた作家・批評家の残した『写真論』と題する、写真という文明の技術を通して、覚醒された知の視覚を媒介としたアメリカ文化と社会を論じた本が今なお日本で多くの読者を持ち続けており、日本人の次の、さらにその次の世代の知性と感性を頼もしく思わずにはいられない。世界で一番写真が好きな日本人が、決して感覚だけでシャッターを押しているわけではない証拠であり、この本が日本人に一番読まれていることが、無意識にも写真を撮る時の潜在的な素養となって作品が生まれ続けているのであり、それによって日本人の写真が欧米でも高く評価されるようになったという現実は疑えない。

写真が絵画とは違う現実直視の証拠として社会意識の変革の源動力となってから時代は大きく変わった。その後テレビ、パソコン、スマートフォン、ipadと、映像が絵画や映画のように単独の分離した発表形式ではなく、個人の居間、寝室、掌の中、さらには目そのものに寄り添い、目と同時に見はするが人間の目とは違うレンズの目で日常的に眺め、相手に語りかける。それは即座に捨てられるが、電子メモリーに記録され、脳には痕跡を残さなくなる。他人の記憶でもなく、その他人が死んでもあとに残る、個人の記憶のないメモリーとしての映像は、人間の存在意識の根源としての記憶を本人の外に脱し、「他者としての自己」を、他者の映像を見るように見る経験を生み出している。

それは統一障害や人格喪失の可能性をもっており、社会の現実と個人というリアルな物質的精神的関係から、個人の現実の離脱・喪失・非人称化の連鎖が、私たちの意識しないうちに私たちを取り巻く環境となりつつある。私の視線が他者の視線となり、また他者の視線に晒された私が、他者としての私となって、世界と私の関係を非人称の多重関係にする。写真はもはや写真ではなく、日常的に身体に降りかかる放射線で、写真家のまなざしではなく、無人の監視カメラの自動の瞬きであり、感情なき黙視である。それは人を「見る」物である。

◆近藤耕人
1933年東京生まれ。東京大学文学部英文科卒業。明治大学名誉教授。 著書に『映像と言語』『映像言語と想像力』『見える像と見えない像』『見ることと語ること』『映像・肉体・ことば』『眼と言葉』『アイルランド幻想紀行』『ドン・キホーテの写真』ほか。 訳書に、バーナウ『世界ドキュメンタリー史』、ジョイス『さまよえる人たち』ほか。

☆web連載「ロンドンからマルセイユまで 」はこちら

スーザン・ソンタグ『写真論』はこちら
シャーロット・コットン『現代写真論』