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世界で会った人

 

第5回 アイルランドの作家、メアリ・ラヴィン

 

(1)

自然石の十字架 グレン・コロム・キル、ドニゴール州、アイルランド

自然石の十字架 グレン・コロム・キル
ドニゴール州、アイルランド

セント・スティーヴンズ・グリーン公園に面したモダンなシェルボーン・ホテルの一階のラウンジは、ダブリンの教養人が利用するサロンになっている。司馬遼太郎がアイルランドを旅行したとき、そこで日本人の留学生と待ち合わせをした。隅のソファにつつましく座っている若い女性を認めて、うつむき加減にフロアに目を落としているのを、「しっとりとした両目をスプーンで掬ってあげたいと思った」と、うっとりするような表現をしたものだ。その美しい文句は彼女が一生胸に秘めて下げる真珠になった。
私はホールに立って、ブラウンやブロンドやプラチナの髪が色とりどりのブラウスやジャケットの上で揺れて華やぐラウンジをひとわたり眺めて、約束した女性を探した。奥のソファで身を乗り出し、柱の陰からにこやかな視線をこちらに送っている年配の女性がいた。私に問いかけているのだとすぐに分かった。そこにいる日本人は私一人だった。テーブルの間を進んで行くと、女性は立ち上がって手を差し伸べ、「メアリ・ラヴィンです」と言って私に隣の席を勧めた。普段着の黒いコートを着たままの風情は農家の女主人で、乱れた前髪に白いものが混じっていた。
ラヴィンの短編集が日本で翻訳出版されているときで、ダブリンを訪れた見知らぬ日本人にぜひ会いたいと思ったのだ。ラヴィンはテーブルの上で原稿を書いていた。
「日本人は礼儀正しいと聞いていたので、今日は遅れてはいけないと思って早くきたんです。わたしはどこにいても原稿を書けるんです。子供が泣いていても、テレビが鳴っていても。ダブリンは狭い町ですから、なかなかひとりになることができないんです。このラウンジでも挨拶する人が五、六人はいます。街を歩けば挨拶されるし、わたしの農場へ帰ればやれ修繕だの掃除だのといって五十人の人がやってくるんですから。わたしはパリが好きです。他人が大勢生活して、それぞれの仕事をして、お互いに孤独でいられて、それでいてなじみのカフェにいけば友人たちに会えて、たちまち打ち解けた雰囲気になって会話ができる。アイルランドはあんまり親密で家庭的すぎるんです.ジョイスもベケットもフランスに修行に行ったんだと思います。フランスの冷たさのなかで」

 

(2)

ドニゴール州北の海辺を行く羊たち ドニゴール州、アイルランド

ドニゴール州北の海辺を行く羊たち
ドニゴール州、アイルランド

この「フランスの冷たさのなかで」という言葉が気に入った。ロンドンも大都会で外国人が多いが、イギリス人は人を気遣い、親切だ。たしかに初めて来た外国人の私にも、ダブリンはパブもレストランも劇場も家族の町のようだ。世界には気遣いのある町とない町がある。気遣いのあることが人間だとハイデガーはいった。大都会の東京はどうだろう。大阪や京都よりは冷たいかもしれないが、大部分は日本人だから、日本人同士の通じ合いというものはある。文学は気遣いから生まれるのか、冷たさこそ新しい文学の条件なのか。人間が冷たく孤独になっていくから文学を求めるのか。それならまだ救いはあるが、不可解な人間が多くなり、文学はそれに追いつかないでいるのではないか。漫画やゲームとはちがって読むのに時間のかかる小説は敬遠されるようになった。
「街を選べばニューヨークもいいわね」とラヴィンは言った。孤独な大都会で、孤独なアメリカ人はそれぞれ馴染みの小さな場所をもっている。
むずかしい顔をしたご主人がやってきた。大学で一般教育を教えているという。ラヴィンの横に座り、コーヒーを注文してくれた。やがて蒼ざめた顔の頬を引きつらせ、黒縁の眼鏡が浮き上がるほど両目の寄った若い女性が足早に入ってきて、ラヴィンの向かいにそそくさと座った。私との挨拶もそこそこに、ラヴィンの娘は機関銃のような早口で、英文科の試験の形式が予告もなく変わったので準備の予想が外れて不首尾に終ったと必死で訴えているらしかった。これが若い人たちの会話なのだ。緊急事態の表明が終ると、娘はコーヒーも飲まずに出て行った。ラヴィンは娘の早口の内容を分かりやすい英語でゆっくり説明してくれた。
「試験が通らないと来年もう一度英文科を受験しなければならないのです。一度先生に会いに行ってやらなければならないでしょう」

 

(3)

地ビールの倉庫 ラスマフレン、ドニゴール州、アイルランド

地ビールの倉庫 ラスマラン
ドニゴール州、アイルランド

ラヴィンは「遺言」という自分の短編の筋を話してくれた。
「貧しい娘が貧しいがゆえに結婚がうまくいかないので、母親を恨んでいたのですが、母親が亡くなったときに、遺言でほかの娘たちには財産を残してあげたのに、その娘にはなにも遺贈しなかったのです。それでもその娘だけが母親への深い愛から費用を工面して、いまは形式ばかりの因襲に過ぎなくなったカトリックの葬儀を正しく執り行い、その決まりにのっとった弔いが真実の愛の象徴になっているというのです」
ラヴィンの小説のなかに妖精のことが書いてあったので訊くと、
「アイルランドの妖精はほかの国の妖精とはちがって、身体の小さいケルト人が身体の大きい屈強なアングロ・サクソン人に征服されて木の根や祠に隠れてしまったのが、ときどき地上に出てくるのです」と話した。ご主人は所用を詫びて、残念そうに中座した。さらにベケットの話をしたあと、私たちもシェルボーン・ホテルを出た。七時を過ぎていたが、街はまだ明るかった。
「少し一緒に歩いてこの辺りのジョージアンの建物をお見せしましょう」ラヴィンはセント・スティーヴンズ・グリーンの東側の、青紫の影に見える煉瓦の建物を指した。「第二世代はこのジョージアン建築に反抗したのです。でも第三世代は政治から離れて、この建築様式の美を擁護しています。あの四階建ての家も学生たちが取り壊しに反対して六か月間占拠していたんです。結局似たような建物を建てることで譲歩したんですけど、結果はあんな醜い建物が建ちました。十五年前はこういう店はなかったんですけど、だんだん醜い店がこの辺りにもできてきました。みんなもっと明るい、モダンな家を望むもんだから、美しい窓もシンプルに改造して、この新しいビルも醜い」ラヴィンはそう言って、東京のどこにでもある窓の大きいガラス張りのビルを指した。
「トウキョウはどうですか」
「トウキョウは醜い建物ばかりということになりますよ」
「この通りはまだジョージアンの名残りのある美しい街です。テラスハウスは一つにつながっていても、それぞれが窓枠やバルコニーの手摺、玄関口やその上の扇形の明かり取りに工夫を凝らして、個性を出しているんです。ほら、そこの扉は左開き、その隣は右開きでしょう」
前方に見えるのはメリオン・スクエアだった。ロンドンのあちこちにあるふつうの煉瓦造りの家だが、バルコニーの鉄細工も、ドアの上の飾り窓の白いレース模様も、ロンドンのよりも手入れが行き届いていた。それぞれ形のちがう真鍮のドアノッカーも、どの家もピカピカに磨き上げられているのが、家主の心遣いを物語っていた。
「わたしが最後に差し上げる言葉は、建物のひとつひとつ、正面のひとつひとつが異なっていながら、しかも同じです。人間も、同じことではないでしょうか」
メアリ・ラヴィンは美しく言葉を結んで、黒いコートの胸にバッグを抱え、ジョージアンの家並の陰に消えて行った。