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概要

yoshimoto

一九八二―一九八四一九八三―一九八七一九八四―一九八七一九八五―一九八九22 21 20 19●一九六〇(昭和35)年 三十六歳六月 六〇年安保闘争の六・一五国会抗議行動で逮捕、二晩留置される。●一九六一(昭和36)年 三十七歳『試行』創刊(発行日・九月二十日)。「言語にとって美とはなにか」の連載開始。●一九六三(昭和38)年 三十九歳六月中に台東区谷中初音町四丁目に越す。木造二階建ての二階部分を借りる。十一月 熊本・福岡での講演の合間に、初めて父母の郷里・天草を訪れる。母の実家を尋ね、父の従兄弟に会う。●一九六四(昭和39)年 四十歳七月 次女・真ま秀ほ子こ誕生。●一九六五(昭和40)年 四十一歳六~七月 北区田端町三一七番地に転居。建て増しをした大家の旧宅部分を借りる。風呂付きの平屋。十一月 お花茶屋で食料品店を営んでいた長兄・勇、喉頭癌のため死去(行年四十八歳)。●一九六六(昭和41)年 四十二歳二月 編集者・岩淵五郎(春秋社編集長)を全日空機羽田沖墜落事故で喪う(行年三十八歳)。岩淵は隆明の『模写と鏡』などを手がけ『試行』の校正を手伝う。今氏乙治、父・順太郎と共に「大衆の原像」として敬愛していた人物。●一九六七(昭和42)年 四十三歳六月 文京区千駄木一丁目に建売住宅を割賦で購入。六軒の借間・借家を経て、初めての持ち家。借地権で家屋のみ。●一九六八(昭和43)年 四十四歳四月 父・順太郎死去(行年七十五歳)。十二月 『共同幻想論』(河出書房新社)刊。●一九六九(昭和44)年 四十五歳十月 十三年間勤めた特許事務所を退職。●一九七一(昭和46)年 四十七歳七月 母・エミ死去(行年七十八歳)。弟・冨士雄の妻・美恵子によれば、隆明は毎月、両親の暮らす冨士雄宅を訪れて小遣いを手渡すのを常としていたという。*さまざまな作品を個々の作者ではなく「現在」という作者が生み出したものとして論じる『マス・イメージ論』と時期を接して生じた世界的な「反核」の動きを批判した「反核運動の思想批判」などを収める[単行本未収録六篇]*埴谷雄高との論争「重層的な非決定へ」と『死の位相学』の序に代えて書き下ろされた「触れられた死」などの評論・エッセイと連作詩の最後の時期を収める[単行本未収録三十二篇]*「野性時代」の連作詩を組み替えてなった長編詩『記号の森の伝説歌』、柳田の新しい像を作り上げようと試みた「柳田国男論」、そして長い年月をかけてまとめられた西行と良寛についての二つの長編評論などを収める[単行本未収録八篇]*「未知の現在」に「世界視線」という概念によって迫ろうとする『ハイ・イメージ論』の「Ⅰ」、散文詩とも批評的箴言ともみなしうる言語をめぐる思考の記述『言葉からの触手』などを収める[単行本未収録一篇]全巻内容マス・イメージ論 ポーランドへの寄与 反核運動の思想批判 「反核」問題をめぐって 反核運動の思想批判番外字画の挿話 地名がくずれ堕ちる 祖母の字 親鸞における言葉 『赤光』論 古井由吉について わがファウスト 幼児性の勝利 自己慰安から渇望へ 小林秀雄について 《遠野物語》別考 川崎徹小論 ふたつのポルノ映画まで 他声の葉 活字都市 大衆文化現考 n個の性をもった女性へ 映像から意味が解体するとき スケベの発生源 元祖モラトリアム人間 政治なんてものはない 重層的な非決定へ 触れられた死 佃ことばの喧嘩は職業になりうるか 現代電波絡繰試論 たった一つの黄金風景 こだわり住んだ町 『アンチ・オイディプス』論 放射能とわたし ミシェル・フーコーの死 他記号の森の伝説歌 柳田国男論 西行論 良寛論 室内楽 なぜタクシーに乗るのだろう 石川九楊論 エイズの伝播 「ゆきゆきて、神軍」その他 共同体の起源についての註 心と身体の物語 米沢の生活 わたしの地名挿話 他ハイ・イメージ論Ⅰ 言葉からの触手 他