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概要

yoshimoto

一九九二―一九九四一九九四―一九九七一九九三―一九九七一九七〇―一九九七一九九八―一九九九31 30 29 28 27みの歌唱指導等の24時間。十月 次女・真秀子、『キッチン』で第六回「『海燕』新人文学賞」を受賞しデビュー。筆名・吉本ばなな(よしもとばなな)。●一九八八(昭和63)年 六十四歳十月 一級建築士の弟・冨士雄、工事中の転落事故がもとで死去(行年六十歳)。●一九九二(平成4)年 六十八歳十月 講演「わが月島」を行う。会場の「月島社会教育会館」は隆明が生まれた住所のすぐ隣り。月島地区の百年の歴史と未来を語る。●一九九三(平成5)年 六十九歳九~十月 東京・八重洲ブックセンターで「思想詩人吉本隆明&吉本隆明写真展」開催。吉田純撮影の写真の展示、本のフェア、サイン会他。●一九九六(平成8)年 七十二歳八月 家族と夏の休暇を過ごす西伊豆土肥海岸で、遊泳中に溺れる。この事故の後、持病の糖尿病の合併症による視力・脚力の衰えが進む。以降、読み書きは虫眼鏡、電子ルーペ、拡大器を用いるなど努力を要し、著述は、口述やインタビュー後にゲラ刷りを校正する方法が多くなる。脚力・体力の回復のため自分流のリハビリに取り組む。●一九九七(平成9)年 七十三歳『試行』七四号を以て終刊(発行日・十二月二〇日)。創刊以来、妻・和子が事務を担ってきた。●一九九八(平成10)年 七十四歳九月 和子、初めての句集『寒冷前線』(深夜叢書社)を上梓。●二〇〇三(平成15)年 七十九歳二月 真秀子、男児を出産。●二〇〇四(平成16)年 八十歳二月 下血で日本医科大学付属病院に入院。虚血性大腸炎と診断される。検査中に横行結腸に癌が見つかり、翌月手術。●二〇〇六(平成18)年 八十二歳五月 『老いの超え方』(朝日新聞社)刊。*最後の詩「わたしの本はすぐに終る」、および「現在」という作家と日々生み出される作品の作者たちの関心のありかを結びつけて論じる『現在はどこにあるか』などを収める[単行本未収録十二篇]*雑誌編集部の挑発を受けて立って構成された『わが「転向」』、および水難事故の前後の文章を収める[単行本未収録五十四篇]*先進諸国家が当面する現状を「超資本主義」の産業経済段階にあるとみなしオウム―サリン事件を挟む情況を論じる『超資本主義』『思想の原像』、水難事故後はじめて語り下しの形で質問事項に答えて構成された『僕ならこう考える』を収める*『試行』に終刊まで連載された「目の知覚論」「身体論」「関係論」「了解論」の四部からなる長編評論[「目の知覚論」については著者の初出赤字入れ稿を底本とする]*人類史の一番多様な可能性を持つ母型を掘り下げることが同時に歴史の未来にとって最大の射程をもつものとみなす『アフリカ的段階について』、溺れかかったのだからという提案に応えて作られた『遺書』などを収める[単行本未収録十五篇]全巻内容わたしの本はすぐに終る 現在はどこにあるか イザイホーの象徴について 卵をめぐる話 胎児という時期 隅田川有情 百人一首の遊び 私の実朝像 絶望的かつ楽天的な、日本の思想書作家・吉本ばななをめぐって 二葉亭の文学 親鸞の十八願 他わが転向 社会風景論 心に残る友 いずれ物書き自身を廃棄処分にする時代が来るだろう はるかな米沢ロード 上野界隈の半世紀 サリン―オウム事件の残像 海辺のパチンコ 溺体始末記 幸田文について 赤瀬川原平の路上観察学 谷川雁の死 埴谷雄高さんの死に際会して 三木成夫『ヒトのからだ』に感動したこと 他超資本主義 思想の原像 僕ならこう考えるの心的現象論アフリカ的段階について 遺書 父の像 少年 新年雑事 そば開眼 短歌の謎 不況とリストラの話 交友を断つ決定的な〝その日〟 たけしへの手紙 私の横光利一体験 江藤淳記 法然と親鸞 他