ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

yoshimoto

戦時下の体験を戦後もしっかりと持ち続ける。そこに吉本隆明の特色と力強さがあった。戦後まもなく、学生だった吉本が「春の枯葉」の上演許可を求めて太宰治に会いに行ったのも、彼が太宰の中に同質のものを読み取っていたからだろう。自宅には不在で、教えられた行きつけの飲み屋に行くと、果たして太宰が居た。そこで上演許可をもらい、しばらく雑談をした。戦時中に太宰の作品に出会い、その世界に引き込まれた私もまた、吉本と同じ頃、講演の依頼で二度ほど太宰のもとを訪れた。あいにく二度とも留守だったため、私はあきらめて帰った。運不運もあるが、その場で吉本のような才覚と機転を、私は持っていなかった。吉本は自分の立つ場所というものを、当時からすでにしっかりと持っていた。太宰との出会いも、その中から生まれたものだったろう。才覚と機転吉本隆明は戦後日本最大の、そして空前絶後の思想家である。「空前絶後」というのは、吉本の前に吉本はなく、吉本のあとに吉本はいない、という意味である。彼は戦後の反体制運動のなかで扇動者の役割を果たしたり時局発言をしたりしたが、また大衆消費社会に迎合したとも言われたが、そしてオウム事件の時には麻原彰晃を擁護したり反原発運動に対立したりというフライングを犯したりもしたが、そういうふるまいの瑕疵はかれの業績を傷つけない。というのも、彼ほどラディカルに――根底的に、という意味だ――言語について、国家について、共同体について、家族について、性愛について、心的現象について、信仰についてかんがえた者がほかにいただろうか?「理論不毛の地」と言われたこの国で、どんな外来の思想にも頼らず、徒手空拳で自前のことばで考えぬいた。「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」という自負がなければ、これらのしごとはなしえなかっただろう。空前絶後の思想家思想の洗礼を授けてくれた書は『擬制の終焉』であった。やがて吹き荒れる時代の只中で、詩集『転位のための十篇』をいきいきと体験する。「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる/もたれあふことをきらつた反抗がたふれる」。状況が言葉を蘇らせたのだ。関東大震災の翌年、東京湾、隅田川を臨む東京市京橋區月島に生まれ、人家密集する路地の一郭に住まい、売文をもって生業とし、原発事故を体験した翌春、旅立ってゆかれた。思想の核のどこかに船大工の倅の心意気と生粋の東京ッ子の矜恃(道理への義理堅さ「よせやい」「冗談じゃあねえよ」)があった。上野千鶴子鶴見俊輔福島泰樹推薦のことば「よせやい」東京ッ子の矜恃