ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

yoshimoto

ある人のことを、まるごと知りたいと思うことって、そんなにはないと思うのです。もの書きの「全集」を揃えようとすることは、「その人をまるごと知っておきたい」という気持ちがあるからだと思うのです。そして、しかも、「全集」を買って揃えて、まるごとぜんぶを読むということも、あんまりないような気もします。研究者でもなければ、全集をすべて読むなんてことは、しなくて普通なんじゃないかとも思います。あるもの書きの「全集」を編んで世に問おうとする人がいることと、それを待ちかまえたように買おうとする人がいることは、読む読まないさえも超えて、その「もの書き」が、人びとに「まるごとを知りたいと思わせる人」だったということなのでしょう。吉本隆明さんのまるごとなんて、家族だって、ご当人だって知れるはずもないのだけれど、近々「全集」が揃えられるとなると、ぼくは祝い事のような気持ちで、その日を待ってしまいます。こころうれしく待つ。時代のこの蠕動をあのひとならどう受けとめるだろうかと、折にふれて問うてみたくなる、そんな書き手がたぶんだれにもいる。わたしにとって「吉本隆明」がそのひとだった。そしてその謦咳には、マスメディアでない小さな出版物のなかで、かならずふれることができた。以後、どんな問いにも、それが庶民の日々の細々とした疼きの理由であっても、「わたしはこんなふうに考える」といつも答える用意があるというのが〈思想家〉の条件であると、わたしは考えるようになった。吉本隆明は、二階ではなく一階で、台所の音を聴きながら、ぐずる子をあやしながら、家の前を行き来する人びとの気配に耳を澄ましながら、仕事をするような人だった。そういう〈歴史〉の地べたから、しかも〈歴史〉をじぶんという存在の根拠となるはずのものに繋いで、そしてそこからしか声を立ち上げない人だったから、多くの仕事は「二十五時」以降になされた。思想というものは、暮らしのなかにこの「二十五時」をどう押し込むかにかかっていることを、教えてくれたひとだった。二十五時間目のひと宵越しの金は持とうとはしない気風は、その生き方をつらぬいた。人はいかに生き、いかに死んでゆくか。全集刊行と同時に、単行書籍三百册に籠めた葛藤と慟哭と叡智と決断、その膨大な言葉たちが、危機の時代を新たな相貌を以て語り始めてゆくのだ。敗北の涙ちぎれて然れども凛々しき旗をはためかさんよ糸井重里鷲田清一推薦のことば