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概要

yoshimoto

初めて吉本隆明の詩篇に出会った時の衝撃は、今も胸に刻まれている。自分の身体の奥底から吹き出してくる説明し難い感覚を、それは明瞭に言語化していた。表現することの出来ないパッションと硬質なセンチメントが美しい旋律となって、これこそ僕の気持ちだ、と溢れ出る涙を止めることが出来なかった。この四十年間「転位のための十篇」だけは、週に一回は読み返す。僕が少しでも過ごす場所には吉本隆明の詩集を置いていて、いつでも読める体勢になっているのだが、すでに全篇暗記してしまっているのに、読むとまた、涙が溢れる。邪道な読み方かもしれないが、不可能だと思えることに決然と挑もうとする時、僕は吉本の詩篇を暗誦する。そのようにして幻冬舎は、今、ここに在る。「マチウ書試論」も何百回と読み返しているが、その度に新しい発見がある。吉本隆明は、最も深く衝撃をうけた作家・作品は? という問いに、ファーブル『昆虫記』、編者不詳『新約聖書』、マルクス『資本論』の三冊を挙げ、続いて、戦後、最も強く衝撃をうけた事件は? という質問には、「じぶんの結婚の経緯。これほどの難事件に当面したことなし」と答えている。その直後の、最も好きな言葉は? には「ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、……」とマタイ伝23の37の言葉を記しているが、吉本にとっての人妻を恋するという内面のドラマが、どれだけ思想の形成に深く関わったかを読み取る時、僕の生きるという営みが影絵のように重なり合って、毎回、慄然とする。吉本の個人的難関は、「マチウ書試論」だけではなく、すべての吉本の作品に影を落としているはずだが、それが新たな全集で発見できると思うといやが上でも興奮が高まってくる。この全集を読むことは僕の晩年の最大の個人的な事業になるはずだ。人間的な、あまりに人間的な自分にいちばんよく似た思想家は親鸞だと吉本隆明は考えていた。親鸞は仏教を隅から隅まで学びつくした。しかし普通の仏教僧のように、そこに書いてある概念や思想を、現実をたやすく理解するための「便利な道具」として使うことを拒否した。すぐれた概念や思想は、機能や便利性にすり替えることはできない。それらは便利な貨幣ではなくあくまでも言葉であり、機能や道具に還元できない「詩的構造」としての深淵を備えている。親鸞は仏教思想から「便利な道具」としての性格を捨て去ってしまうと、最後は何が残るか考えた。こういう親鸞を吉本隆明は心から愛した。吉本隆明の目には、世のインテリが西欧から輸入した概念や思想を「便利な道具」として使っているにすぎないことが、はっきりと見えてしまった。そこであらゆることを「詩的構造」として作り直す作業に取り組んだ。吉本隆明の全仕事をとおして、私たちは嘘とほんとうを見分ける確かな方法を学んだのである。嘘とほんとうを見分ける確かな方法中沢新一見城徹推薦のことば