『手のなかのこころ』刊行記念 綿引展子さんに聞く

『手のなかのこころ』刊行記念 綿引展子さんに聞く

今のお話、作品集「手のなかのこころ」でいうとどの頁にあたりますか?

かこまれた記憶

かこまれた記憶

ぬいぐるみに仕立てられた記憶

ぬいぐるみに仕立てられた記憶

44頁の「ぬいぐるみに仕立てられた記憶」が最初の作品ですね。一目ではわからないかもしれませんが、写真を薄い布でくるんで吊るしてあるんです。
45頁「かこまれた記憶」は、姉と私の写真ですが、私の方だけを鉛筆で描いて貼りなおしています。自分を追体験して、また写真のなかに戻すという、そういう作業です。

62-63頁の「人は刑罰のように幸福を味わう」では作品が大きくなっていて、写真から鉛筆で描いたものです。

声よりもちかくならぶきみ

声よりもちかくならぶきみ

17頁の「声よりもちかくならぶきみ」は、木に写真を焼いています。感光材を直接木に塗って焼いています。筋模様になっているのは、指で感光材をのばしたあとです。これはとても大変だったので一回しかやっていませんが……。

仕事をしながら、作品を作ってらしたんですか?

盲人団体の仕事はかなり忙しかったので、仕事か創作か選ばなければならなくなりました。それで結婚を機に仕事を辞めました。箱の作品を作っていたころです。けれどそれも、この写真を使ってこの色でという感じで次第にバリエーション化されていって、自分でつまらなくなってくるんです。なにかもっと違うことをしたいと……。
そのころはまだ景気もよく、画廊も作風が変わったほうが面白い、もっと新境地を見たいといってくださって、絵を描いたら、それで発表させてくれたのです。

最初の絵はどの作品でしたか?

海辺の一日

海辺の一日

13頁の「海辺の一日」ですね。最初のうちは絵といったらキャンバスに描くものと思ってキャンバスに描いてました。
9頁の「記憶はふいにとおいにせよ」と14-15頁の「意味はいつもはじめの姿にかかわるのだと」も同時期のものですね。
その後から和紙に描きます。87頁の「決意の手放し」です。
この間に離婚したりもしますが、懸命に絵を描き続けました。

「決意の手放し」が95年の作品で、97年にはVOCA展に選ばれて「二対の手のひらをはるかに向きあわせ」(66-67頁、96年作品)。

推薦していただきました。なんにつけても推薦していただけるのは嬉しいことです。

その後、美術館での展示につながっていくわけですね。それにしても綿引さんの作品はタイトルがとてもユニークだと思います。

二対の手のひらをはるかに向きあわせ

二対の手のひらをはるかに
向きあわせ

決意の手放し

決意の手放し

最初はタイトルをつけていませんでした。画廊の人に「わかりにくいですよ。言葉があれば見る人が勝手に想像していきますから」といわれてつけましたが、意味なくつけても仕様がないので、好きな詩からとったりなんなりしていたらどんどんと長くなっていって(笑)。
石原吉郎という人の詩が大好きで、私が二十歳くらいの時にその方の全集が刊行されたのですが、そのなかの散文にはとても興味を引かれました。

戦争を実際に体験した世代で、しかも彼はシベリアに抑留されてしまうんです。生きるか死ぬかというつらい思いをするわけです。それで日本に帰ってきたら今度は、「お前はアカなんじゃないか」といわれるわけですよ。彼の気持ちとしては日本という国のために抑留されていたという気もあったでしょうに、そうしたことだから、自分は日本の社会や国とどうやって接していったらいいか、すごく考えたと思います。

その彼の結論は、「自分は告発はしない」というものでした。強い怒りが悲しみになっていったのでしょうか、彼は、告発をしないという立場をとるということを散文に書いていて、その姿勢に私はぐっときたんです。

これから1年、ドイツに行かれるそうですね。

綿引展子 著「手のなかのこころ」

綿引展子 著
「手のなかのこころ」
B6判 1260円(税込)
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8月のギャラリー白石の展示では、昔から最近のものまで、自分の作品を並べてみることができました。そうした形で自分の作品を見る機会はあまりないのですが、並べてみても違和感がなくて、昔からあまり変わってないんだな、と感じました。

今は、ここを転機に、もう少しクリアーな絵を描けるようになれたら、と考えてます。
これまでは描いていると、気持ちが盛りだくさんにしようという方向に向かっていたと思うんです。そうではなくてもっと絞り込んで描いてみたいと考えたりしています。
(2008.9.25)

◆綿引展子(わたびき・のぶこ)
綿引展子1958年東京都生まれ。80年代より作品を発表。作家の登竜門とされる「VOCA」展(上野の森美術館、1997,98)、「〈私〉美術のすすめ─何故〈WATAKUSHI〉は描かれるか─」(板橋区立美術館、1997)、「メデイテーション 真昼の瞑想」(栃木県立美術館、1999)、「愛と孤独、そして笑い」(東京都現代美術館、2005)などに出品している。