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ロンドンからマルセイユまで

第11回 ウィリアム・モリスのケルムスコット・マナー

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世界でもっとも美しいといわれる村々のあるイングランド南西のコッツウォルズはイギリス人のものではないといわれるほど外国から訪れる人が多い。詩人、作家、デザイナー、社会主義活動家、古建築保存運動家、骨董的な書物の製作者で、身の周りのものをすべて自分の手作りの思想と芸術で造形したウィリアム・モリスが1871年に見つけて、画家のダンテ・ガブリエル・ロセッティと共同で賃借したケルムスコット・マナーの土地は観光スポットになっている。
ロンドンのパディントン駅の自動券売機で切符を買ってみようと通勤客に混じって列に並び、ドキドキしながら自分の順番を待ち、出発駅と行先と枚数を入れるがあとは気があせってギブアップ。後ろの若い男性に助けを求めると、彼は手早く乗車日と時間帯、等級、片道か往復かと、順に液晶画面を指で押し、無事切符を買ってくれた。「ありがとう」。天にも昇る気持ち。ブリストル行きの列車はすでにホームに停まっていて、中程の客車のデッキを昇ってみると、座席のヘッドにすべて白いカードが兎の耳のように斜めに差し込んであり、どうやら座席指定車と見えた。次の車両も同じ。ホームに降りて駅員に訊くと、どこでも乗れという。再度乗車。よく見るとカードが差し込んでないシートもある。指定席と自由席とが混合しているらしい。

(2)
スウィンドンはロンドンから急行で1時間足らず。駅のコーヒーショップでサンドイッチとカフェオレを注文したら、丼のような大カップにミルクたっぷりのコーヒーが運ばれてきた。ウエイトレスに道を教わって人気もタクシーもない駅前広場から通りを歩いて行くと、大きなバスターミナルが見えた。ケルムスコットは遠い。せめて近くのレッチレイドという村までバスで行けないか。バスの行先の表示を見たり、インフォーメイションの女性に訊いてみたり、時刻表を覗いたりしてみても分からない。その村でタクシーを見つけてケルムスコットまで行けるのか、帰りはどうするのか。あきらめて客待ちのタクシーの列に近づき、若いドライバーに尋ねてみる。ずいぶんかかるんだろうと心配げにいうと、ビザのカードが使えるという。
タクシーのドライバーは張り切ってスタンドにより、ガソリンを満タンにするとすぐに町を抜け、一路北に向かって走り出した。延々となだらかな丘陵地帯の麦畑が続くと、イギリスはこんなに農業国だったのかと感嘆する。かつては森だった広い土地が一面麦畑や牧場になったのだ。ときどきヤモリの肌のような色の石造りの村が見える。レッチレイドも乾いた灰白色の石の家がひっそりと肩寄せ合った集落で、店らしい店もタクシーの姿もどこにも見えなかった。そこから道を東へ取り、人家もない木立を行き過ぎて戻り、さらに東へ細い道に入った。小さな城のような古い館が建っていた。
「ケイト・モスの家です」とドライバーが左手を上げて教えてくれた。
「ケイト・モスってだれ」
「有名なモデルです」
こんな人里離れた畑の中に住むモデルもいるのだ。ロンドンの喧噪から遠く離れてほっとするのだろう。車はやっと石塀の向こうに古い灰色の石の建物が見える角に止まった。

(3)
チケット売り場らしい小屋、展示場にもなっている荷物預かり所、品のいい婦人や紳士たちがスーツケース預かったり、イラストのあるパンフレットをくれたり、建物の配置を説明したりしてくれる。皆ボランティアらしい。石塀の小さな潜り戸を入ると、色とりどりの薔薇の木を配した庭は手入れが行き届いて、二つの高い破風のある四角いマナー・ハウスが目の前にあった。版画でも写真でもない実物は大きくもあり、想像したよりは小さくも見えた。400年を越えて風雪に耐えてきた頑固な石組みの重量感に圧されてこれが現実なのだと思った。小さな写真や版画からその壮大さを遠く見えない土地に想像していたのが、長い旅や道行きの果てについにその前に立った時、その建物が意外と小さく、館というよりも個人の家というたたずまいに接して、これが現実というものなのだとその落差を覚えたことがなんどもある。三角屋根のポーチか

ケルムスコット・マナー東面

ケルムスコット・マナー東面

ら狭い入口に足を踏み入れると上品な婦人が立っていて、この中では写真は撮れません、家具に触れたり椅子に座ったりはできません、窓の下の作り付けのベンチには座って休んでもいいですと一人一人指示を与えている。
一階はキッチン、ホール、ホワイト・ルーム、グリーン・ルームと廊下はなく、部屋から部屋へと続いており、テーブル、椅子、ソファー、クローゼット、飾り棚と食器、カーテン、壁掛け、絵と、使われていた場所にそのまま、しかし人と生活の気配はなく、ロンドンのヴィクトリア&アルバート・ミュージアムのモリスの部屋のように清楚に展示されている。裏口から醸造所の平屋の棟のある裏庭に出ると、石畳の通路に目の覚める黄のマーガレットの叢が嬉々と輝いていた。

(4)
ここでモリスと共同生活をしたダンテ・ガブリエル・ロセッティが描いたモリスの妻ジェーンのギリシャ風だが妖艶な臙脂と緑青の絵はもちろんのこと、肘掛椅子、絨毯、壁紙、カーテン、ベッドカバー、四柱式ベッドの飾りカーテンと、調度、装飾がすべて自分のデザインで製作された部屋の中にいると、自分のアイデアと美意識が実現された小世界に暮らしながら、なお際限もなく自由に想像活動を続ける芸術家の幸福を感じもするが、その美の中でこちらが自由を奪われて窮屈になってくるのは、それが芸術家・詩人自身が住んでいた家だからだろうか。これまでもロダン、ブールデル、ギュスタヴ・モロー、バイロン、グレコそしてセザンヌなど、いろいろなアーティストの今は記念館となっている住居を訪ねてきた。芸術家の作品は美術館ではなく作家の家やアトリエで見て初めてその作家の込めた意味を理解できるともいえるが、モリスの家のインテリアはそれ自体が彼のデザインの作品でありベッドであり、日々の品であり道具である、といえるもので、作品がその環境から生み出されるというよりも、作品がそこに嵌め込まれ、張り巡らされている。自分の体の分泌物で殻を作る貝のようだ。そこに美しい真珠がひとつ入っていることもある。その貝の身体の懐に抱えられたひとつの実というよりも詩の心であるものだが、それはモリスのデザインのエッセンス、イチゴやヤナギやピーコックとドラゴンの模様の中に凝縮されていたり、のちのケルムスコット・プレスから装幀出版された装飾文字のモリスの詩の中にあるといえるのだろう。
どの部屋もモリスのデザインのように絡み合うというよりも清潔に整っている。無人の四柱式の丈の短いベッドのあるジェーンの寝室が、かつてロセッティとジェーンの愛の営みの舞台であったという匂いも色もない。向い側の同じく空の四柱式ベッドのあるモリスの寝室も今や装飾美術館の一室で、ローマのスペイン階段脇のバイロンの書斎や寝室のような妖しげな雰囲気はどこにも残っていない。
もとは急な梯子で昇った屋根裏部屋は私がこの家で唯一親しみのもてる場所だった。土地の堅木の白木の梁や斜めに架かった垂木が、白い漆喰の屋根を支える自然の生地の感覚は日本の伝統的な家に通じる肌触りがあった。頭を低めて入る木の床の細長い部屋は、

 ケルムスコット・マナー西面

ケルムスコット・マナー西面

農夫や牧夫が寝起きした場所で、青黒い木のシングルベッド、質素な木製の洗面台と化粧台、タオル掛けが並んで、細い小さな窓からテムズ河の上流の新緑の田園が眺められた。モリスのデザインのマットレス以外はなにも装飾のないこの自然の一画は、人間の臭いがした。この窓辺に小さな机とランプを置いたら、この建物の心が詩の文字になるだろう。

(5)
詩人モリスが書物の印刷に情熱を傾けたのはクラフツマンとしてのモリスが詩を工芸品として形あるものにしようとする自然な成り行きであったといえるだろう。1891年ロンドンのハマースミスにケルムスコット・プレスという私家版印刷工房を設立して、中世風の高雅な書物の少部数製作に集中するようになった。
「私が書物の印刷を始めたのは、美を確実に主張し、同時に、読みやすくて目をちらつかせず、風変わりな形の文字で読者の知性を煩わせたりしないものをつくろうと願ってのことである」(湊典子訳)。
これはのちに『ケルムスコット・プレス設立趣意書』に収録されたモリスの言葉である。良質の手漉きの紙に最適のインクを、ドイツやイギリス国内から探し、効率の良い円圧印刷機ではなく手引き印刷機を使って一枚一枚丁寧に刷り、仔牛の革で作るヴェラムを使って装幀した少部数の中世風の高価な書物を製作した。一般庶民向けではなく、教養ある富裕者向けの書物を出版することは、社会主義者としてのモリスの思想とは矛盾するものではあったが、それは安価で粗末な本が大量に印刷される状況に反発して彼の美学を実現しようとする実践であった。書物の復権どころか、電子書籍が紙書籍を放逐しようとする今日の

 ケルムスコット・マナーの庭

ケルムスコット・マナーの庭

デジタル社会から回顧すると、それは紙やグーテンベルクの活版印刷のなかった中世の、羊皮紙に手書きした写本時代の復元とはいわぬまでも、手仕事の印刷時代の最後の優雅な試みであった。書物を愛する人たちにとって、今わずかに残るケルムスコット・プレス版の木版挿絵と縁飾りのある書物は、夢のような宝物である。


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