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世界で会った人

 

第12回 カイロのアハマド

 

(1)

スブク・エル・ダハク村1

スブク・エル・ダハク村1

ロンドンのカボールにヨーロッパの外も見なくては駄目だといわれ、カイロで日本の商社マンが自宅に娼婦を集めてカレーライスを振る舞っていたという話が印象に残って、カイロに行ってみたくなった。ピカデリー通りのエジプト航空に日参してやっとチケットを手に入れ、オックスフォード通りのエジプト国営旅行代理店でカイロのホテルを予約し、ケンジントンのエジプト領事館でビザを取った。
飛行機は遅れに遅れてカイロに夜9時に着いた。白木綿の緩やかな衣装のエジプト人の群の中に、段ボールの切れ端にMR. KONDOと黒のマジックペンで書いたのを高く掲げている黒服の紳士が2人いた。国営旅行社の社員が私を迎えにきてくれたのだ。恐縮すると、これも勤務の内だという。黒い乗用車でカイロ市内に向かう途中、帰路のフライトの予約の便のためにとパスポートを預けさせられた。
翌朝不安になって近くにある国営旅行社へパスポートを取り戻しに行った。狭いエレベーターに乗って上階へ昇ると、どのフロアも社員がぎっしり群がって働いていた。パスポートの無事を確かめた後、近くにある砂岩造りのモスクの中庭に入ると、白木綿の衣装の男たちが円形の噴水盤から幾筋にも流れ落ちる水を両手に受けて口をすすいだり顔を洗ったりしていた。お祈りの支度か、一日の始まりの習慣か。すると大きな石壁の割れ目から白いTシャツにGパン姿の若い男が現われて、にこやかに話しかけてきた。なにかの押し売りだろうと相手にせずに歩いていると、どこまでもついてきて話をやめなかった。1ドルくれればこのモスクのふつうは入れない屋上に案内するという。エジプトの1ドル紙幣はみなよれよれだ。エジプト人はパンでもフォークでも札でも手の平でしっかり握りしめ、親指と人差し指を摺り合わせてチップを要求する習慣がある。彼らにとって手の平は大事なコミュニケーションの道具で、口に言い表せないことを手の平で暗黙に伝える。手の平に心があってそれだけで生きている。声よりも目よりも触覚的で分かりやすい。ホテルのボーイも身体を近づけ、抱くようにして親愛の情を表現する。札も握りしめたり、さすったりする。ピラミッドの墓室の壁の滑らかな起伏のレリーフもそういう手の平から生まれたのだろう。
木の扉を開け、外壁の狭い石段を使って直接屋上に登ると、砂と同じ色の石の建物が砂漠の蜃気楼のようにもくもくと湧き立っていた。
「あれがハーレムですよ」とガイドが指した方を眼下に探ると、レース模様の繊細な格子彫りのある窓が並んだ、元は優雅であったろう中層の建物が見えた。レース孔の奥に廃墟の黒い影がひっそりと静まっていた。通路の両側にいっぱい商品が下がったマーケットを歩き、有利に両替してやるといって、金銀細工のぶら下がる貴金属店の奥に分け入り、イギリスポンドをエジプトドルに替えて出てきた。マーケットの中程に共同浴場のような入口があって、低く湿ったモザイクタイルのフロアに降りると、そこは男たちが伏して祈るモスクだった。

 

(2)

スブク・エル・ダハク村2

スブク・エル・ダハク村2

「ぼくはアハマドで、コマンドに属していたことがあるんです。いくつに見えますか」と訊くので、頬に傷のあるガイドの日焼けした顔を正面から見すえて、
「36歳」ときっぱりいうと、
「ああっ」と、アハマドは雷に打たれたように天を仰いだ。図星だったらしい。若々しい身のこなしだったが、戦闘で鍛えた筋肉と生死を分つ経験を秘めた顔は年齢を明らかにしていた。
「アメリカ人はみんな25歳といったのに」
私は戦場にいったことはないが、私の方が勝ちだと思った。店先でシシカバブを焼いて香ばしい紫煙を上げている食堂に入って串焼きの羊肉を食べ、ビールを飲んだ。生野菜は手をつけず、テーブルの水差しの水は飲まなかった。
「あなたは食べ物に神経質すぎる」とアハマドがいった。私を逃したらその日の仕事はもうないから、ガイドはいつまでも私のそばから離れず、さらに町の奥のマーケット街を案内してくれた。畜殺場へ運ばれていく豚たちがトラックの荷台で死にもの狂いの悲鳴をあげていた。路上の水飲み場で牛がひざまずいていた。石の建物の高い壁に開いた大きな口の中に靴が山と積まれ、その中で老人がひとりで靴を修理していた。夕方になって、
「明日ナイル河の下流で印刷工場を経営している叔父が住んでいる村を案内してあげましょう」とアハマドがいい出した。「きまりきった観光スポットでなく、村人がふつうに暮らしている小さな村に連れていくと観光客はみんな感激するんです。1日60ドルでいいです」
とうとうガイドの本音が出たと思ったが、自分一人では汽車にもバスにも乗れないし、小さな村にもいけないからと、心が動いた。ところがそのあとでアハマドは、
「ぼくの姉は大学の医学生なんですが、心臓が悪くて、今薬が切れて苦しんでいるんです。今週試験があるのに本も読めないんです。薬を買えれば治るんですが、その金がなくて。明日のガイド料を前払いしてもらえないでしょうか」と、いかにも見え透いた嘘に聞こえる話を始めた。
「行きずりの外国人の旅行者に金を貸してくれというのは卑怯じゃないか」というと、
「いつもは友だちのイタリア人の留学生に借りるんですが、まだ親元から送金がないんです」
アハマドはイタリア人の留学生がきているというレストランに私を連れていった。いかにもイタリア人の金持ちの坊ちゃん風の、生地のいいスーツを着た若者がソファで待っていた。話が通じているらしかった。
「コレリオです」といって青年は立ち上がり、私に握手を求めると、「あなたは教養のある立派な紳士です。あなたは心臓の病気で苦しんでいるアハマドのお姉さんをきっと助けてくださる心の優しい方だと分かります」とお世辞を並べて私の歓心を買おうとした。こんなところまできて騙されてたまるものかと私は身構えて聞いた。アハマドは自分も身をのけぞらせ、苦しそうな息づかいをして姉の深刻な病状を演技してみせた。私は心が揺れ、かりに明日のガイド料を失っても、日本に帰る分の金はあると考えた。すると日本人の私は、太平洋戦争に負けて、日本を占領にきたアメリカ人が貧困のどん底に喘いでいた日本人に助けを求められている姿に自分を重ねていた。キリスト教徒のアメリカ人は戦後の日本人には物質的にも精神的にも、そして外観からも、救世主のように思えたものだ。姉の心臓病の薬を買う金がなくて必死に前借りを懇願している貧しい元コマンドのアハマドに対して、私はなんと薄情な、愛のない人間の姿をさらしているのだろう。私はついに明日のガイド料を半分だけ前払いすることにして金を渡した。
36歳のたくましいアハマドは私の首を抱きしめ、涙を流して、
「サンキュー、サンキュー」と耳もとで繰り返した。アハマドの涙にレストランのランプが光っていた。

 

(3)

スブク・エル・ダハク村3

スブク・エル・ダハク村3

翌朝9時にホテルのロビーで会うことにした。40分過ぎてもアハマドは現われなかった。やっぱり詐欺だったのか。昔、東京駅の新幹線ロビーで、これから静岡に帰りたいという老女に、浅草でスリにあってコートの裏地を切られ、財布をスラレたとくどくど訴えられ、警察にいけばいいのにと思いながら片道の汽車賃を貸してやり、そのまま返ってこなかったことがあった。カイロまできてまた社会勉強の授業料を払わされたか。
9時50分、ついにアハマドは現れた。
「通りが大渋滞で、途中でバスを降りて歩いてきたんです」
カイロは大広場にも交通信号がなかった。ナイル河下流に向かうバスは満員で、後ろの席に染み入るような黒い魅惑的な瞳をした姉妹が座っていた。しきりと二人が気になる私を、隣のアハマドはにやにやして眺めていた。村に近い停留所で降りて、美しい娘たちに、
「サラーミ」とアハマドに教わった挨拶のことばを投げると、
「サラーム」と娘たちはその後ろの席で監視している父親にかまわず挨拶を返してくれた。
「サラーミじゃない、サラームだよ。あなたは覚えが悪いな」エジプトまできてとんだ弱味をアハマドにあばかれて返す言葉がなかった。
アレクサンドリアに通じる単線の線路の上を歩いた。乾いた畑にロバの死骸の干物があった。農民のそばで背中に日除け布を掛けられて草を食んでいるロバも干物になりそうに瘦せていた。人家の露台に丸い土の座布団のようなものが重ねて立ててあるのを見て、
「あれはなんだ」と訊くと、
「牛の糞です。燃料にするんです」とアハマドは恥ずかしそうにうつむいて答えた。無駄がない。ロープで横木につながれたロバが心棒の周りを時計の針のようにゆっくり回っていた。乏しい井戸水を汲んで畑に流しているのだ。この土地のエネルギーは牛とロバと人間の筋肉しかないようだ。線路際のアハマドの姉の家に寄った。鍋に山羊の乳から作ったクリームを入れておやつに出してくれた。アハマドとかわるがわる指で掬って食べた。甘酸っぱくて冷たくておいしかった。そばにロバと山羊と子供がいて、線路の上を頑丈な古い列車が走り、鉄の火桶でゴミを燃やす焰が緩やかに立ちのぼり、線路の向こうの玉蜀黍畑が枯れかけていた。時間を区切ってナイル河から水が流されてくる掘り割りで、村の可愛いい女の子たちが各自の家の食器を洗っていた。ゆっくりと流れる水は土の色をしていた。別の掘り割りでは若い男たちが網で水底の貝を掬っていた。しじみでもいるのか。細い路地の隅で鋳掛け屋が鉄床(かなとこ)を側に置いてランプの修理をして、まわりに村人や子供たちが集まっていた。肉屋の店先の台に羊のあばら骨を置いて長い肉切り包丁で肉をさばいている男がいた。金盥に臓物が溜まってた。店先の小さなウインドウに花嫁衣装のベールを被った人形の頭が飾ってあった。涼やかな南国の樹木が両側に立ち並んだ広い土の道を、大きな枝の束を頭に乗せた女が歩いていった。そこは私の懐かしい故郷の土地のような気がした。
ナイル河畔のスブク・エル・ダハク村を歩いていると。日本でも遠い昔にはあって今はどこにも見られなくなった日々の生活の情景を、夢ではなく目の前に、夢のように見る思いがした。白い木綿の衣装を着たアハマドの堂々として気品漂う叔父さんと従業員たちが温かく迎えてくれた。夕食を食べていかないかという誘いを辞して、私たちは番小屋のようなところにひとりだけいる駅員から切符を買い、2時間遅れのアレクサンドリア発カイロ行の特急に乗った。装甲列車のように分厚い鉄板に囲まれた天井の高い客車は沈黙を運んで、闇の中を疾走した。


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