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ロンドンからマルセイユまで

第2回 ルーヴル美術館の「レンブラントとキリスト像」展

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パリの街角

パリの街角

不況のパリも夕方になればどこのカフェも満席で、男女がグラス片手にテラスにくつろいで、日の傾きと一日の会話を楽しむ風情は昔も今も変わらない。都市計画は涼し気な並木と広い歩道とレストランで囲まれた広場で一国の文化と気性を形成する。東京でこれに並ぶ街が神社に向かう表参道とは、この国の文化を歴史的に象徴している。ロンドン人は狭いパブの外に群がってビールを飲む。 ルーヴル美術館の中庭の行列に一時間並ぶ間、イタリア人の娘たちはガラスのピラミッドの前で飛び跳ねて記念写真を撮り合い、スペイン人の大家族はお父さん一人列に残して階段でくつろぐ。やっとたどり着いた地下のチケット売り場は沢山あるが、どこもクレジットカードの端末の操作と、客と係の会話のために時間がかかることが分かった。 キリストの顔をめぐる大レンブラント展がデトロイトフィラデルフィア両美術館との共催で開かれている(4月21日~7月18日)。70年間汚れと傷みで地下倉庫に置かれていたのを7ヵ月かけて洗浄修復し、今回日の目を見た「エマウスへの巡礼」が目玉であるとはロンドンで「ザ・タイムズ」紙を読んで知っていた。依頼された人物の肖像画や自画像をたくさん描いたレンブラント (1606-1669) が、キリストの顔も描いていたとは知らなかった。フレスコや祭壇画や磔刑像のキリストは各地でたくさん観てきたが、彫刻はいかにリアルに苦悩の皺を刻んでいようとも、それは私とは別の独立したオブジェであり、拝んだり祈ったりはしても、そこに私の顔を映したり、私の分身を見るということはない。周囲に空間があり、対象と私は別の位置を占め、そこから移動して彫刻に触れたり一体化しようとすると、立体が精神に抵抗する。彫刻とは身体で対面するので、絵を見るときのように身体の目はつむって顔の目だけになり、やがては目の身体も忘れて精神に純化するのはむずかしい。 絵画は私との間に空間はあってもそれは見る空間であって、歩く距離ではない。目は手や足で運ばれるのではなく空間を飛翔する飛び道具であるから、目は空間を介さず絵の中に飛び込み、目を這わせ、色を吸い、そこに留められた画家の目を見、その目に見つめられる。絵が私を見つめていると感じたとき、私はほんとうに絵を見ているのであり、視覚のコミュニオンが生まれている。絵の平面は壁や床や掛け布のように私の身体を包み込み、ふとすると私はフレームの中に取り込まれている。私は彫刻に触わったり、取っ組み合うことはできるが、その立体物に取り込まれることはない。私はいつも彫刻の身体を警戒し、見張り合い、対峙している。

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絵はそこに行って触わったり凭りかかったりする場所ではなく、私がそれに出会えば目の前に見えるイメージであり、それは私のイメージになり、私の目がそこに触れ、私の心がそこに引き留められる接面である。その接面の裏は心の中にあり、表は目の中にある。窓から部屋の中を覗き込むように、また窓から外の風景を眺めるように、窓は私の目であり身体である。それは日常の世界に開いた窓である。日常の感覚=窓の敷居を越える驚きと解放。私は絵のお蔭で自由に窓の中に入ったり、窓の外へ飛び出したりする。
ビザンチンのイコンは神の顔を小さな板に描いて額縁に入れたが、それは枕辺の父なる神の姿、慈愛のまなざしである。キリストの像は絵物語でなければ本来は彫刻であるべきだろう。絵ではどれほど崇高に描かれようと身近でありすぎる。キリスト像は高い祭壇の上に掲げられるべきものなのだ。天に昇る中間の位置で、まだ天に昇らず十字架に吊るされ、永遠に贖罪の祈りを待っている。昇るも降りるも信者の祈りの心次第の位置にいる。

パリの観光バス

パリの観光バス

レンブラントはそのキリストの顔を、自画像や人の肖像画のように、小さなキャンバスに大きく描いた。そのうつむき加減の白面が訴えるのは、レンブラントの逞しい、自信に満ちた自画像とは違って、弱々しく自信なげなまなざし、無垢の心の内に惑いの翳を宿す頬、疑念のよぎる顔である。英雄でも王でもない。その迷いはまぎれもなく人間のもので、不安の面ざしは地上のどこにも見るものだが、それをキリストと名づけ、そこに作者レンブラントの心が映って見えるところに、この肖像画の人間的な負の価値、神ではない空の器、人間をそのまま映す無の鏡の、人の心を受容する寛さがある。観る人がそこに自分の面影を感じるからである。それは光を正確に映す鏡ではない。迷える心を留めて癒す理解である。しかし人びとはその前を立ち止まることもなく行き過ぎる。それと並んで懸けてあるレンブラントの弟子たちのキリストの顔は師匠に劣らず重厚な筆使いで、秘めた意志を込めて描いてある。レンブラントのキリストの心定まらぬ女性的な風情に較べれば、男である。

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この展覧会のカタログ(Rembrandt et la figure du Christ)の巻頭論文の執筆者ジョージ・S・キイェス(デトロイト美術館名誉学芸員)は「レンブラントは生涯われの本性——存在の意味と、外観にどれほど内的存在のたしかな手触りが認められるのか——を探求した。したがって最近人が〈レンブラントの旅〉と呼んでいるものの中で聖書の主題の描写が絶えず取り上げられ、中心となったとしても不思議ではない。[…]とりわけ1630年代と1640年代の作品——「エマウスへの巡礼」と「100フロリン金貨」——を併せ見ると、決定的な転換が見られる。この2点ではキリスト像から崇高な静謐と静穏が発散している」と書いている。イエスが深い瞑想の対象となっているというのである。瞑目に近い端麗な仏像をたくさん拝んでいる私たち日本人には深遠な瞑想の姿というよりも、平民の戸惑いと思案の像に見えるのだが、ともかくもそこに無垢の心の生の姿を感じて、真実の言葉を体現する神の顔よりも、自問し、物思う白面の相こそ、地上に存在はせぬが人が心の隅に求め、絵や彫刻に具象化させる神の貌には相応しかろうと思えた。 レンブラントがこの絵をユダヤ人のモデルを使って写生したのではないかということが問題になっている。リアリティを出すために生身の人間を見て描いたというのである。ユダヤ人であるキリストが、ユダに裏切られて殺される運命の予感を描出しようとしたのではないか。弟子たちの描いた個性的な、人間臭いキリストの顔とは対照的に、レンブラントのキリストは控え目に、目立たぬようにそこにあった。
ルーヴルの内部はさながら修学旅行の寺見物だ。なぜ人はこんなに絵を見たがるのか。実際はろくに絵を見ずに通り過ぎるだけじゃないか。「モナリザ」は今やメインのギャラリーから細い横丁を入った広間の奥に、まるで動物園のように半円形の柵と防弾ガラスに護られて、遠く拝むところに収まっている。そういう私も真っ先にルーヴルへ行き、「モナリザ」の様子も偵察してきた。昔モナリザと顔を突き合わせるようにそばから見つめたのは夢だったか。
「むかしっていつ?」
「40ねんまえ」

セーヌ河の日暮

セーヌ河の日暮

オサマ・ビンラディンが殺害された。その翌日、パリの新聞・雑誌はどれも一面に、表紙に、オサマのあの長い髭の静かな笑みを浮かべた美しい、とっておきのポートレートを掲げて、秘かにその死を悼んだ、と思えた。ジャーナリストは無言で、しかし公然と、その交叉した現代史の裏面を訴えたと感じ取れた。それはキリストの顔——といっても画家の描いた人間の顔だが——よりも聖なる顔に見えた。リビアの軍人独裁者の革命家的な風貌とは違って穏やかな、自信な気な表情だった。各国の大統領・首相は言葉ではそれを正当な行為と肯定した。アメリカの「タイム」誌も表紙にオサマのポートレートを載せたが、顔に×印を付けた。日本の新聞は小さな粗末なポートレートを載せて、テロリストの首謀者として扱った。ジャーナリストの現代史への無言の批評は感じられなかった。日本の地政学が許さなかったのか。ヨーロッパは戦場に隣接しているが、アメリカからは離れている。オサマを殺した国はかつてアフガニスタンの対ソ戦でオサマを武器の商人として利用した。現代史の闇の商人=証人の口は永久に塞がれ、海の底に葬られた。