地方から挑む教育改革

――なぜ、福井の日本語学校に3倍以上の志願者が集まるのか

井上俊秀 著
四六判並製 184頁
定価:1,870円(本体1,700円)
978-4-7949-8036-6 C0037〔2025年12月19日発売予定〕


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北陸・福井の日本語学校を拠点に、
「教室を地域へ」ひらく挑戦を描く
実装ドキュメント。

北陸・福井の日本語学校を拠点に、「教室を地域へ」ひらく挑戦を描く実装ドキュメント。創業者の原点から、教師“全員退職”の危機を乗り越えた体制改革、定員3倍応募を生んだ募集設計、地域連携型カリキュラム、教員養成と評価制度、生活・就労支援、避難民受け入れまでを具体例で解説。制度と現場のずれを埋める運営手順、官民協働の勘所、失敗と学びも率直に公開。推進法“その先”への提言と、1000人構想・専門学校設立へ続くロードマップまで、学校づくりと地域日本語教育の“使える”知見を提示する。

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【目次】

プロローグ

第1章 野球を越えて、教育へ――日本語学校設立という挑戦

野球とともにあった青春の日々

大学で、統計学や人的資源管理を学ぶ

カンボジアの青年との出会いが、起業のきっかけに

起業の動機は、家族への思いも

設立の際、資金をだまし取られるトラブルも

故郷・福井に根ざす理由

野球と教育と経営に共通するもの

 

第2章 信頼される学校へ――理念と体制改革の軌跡

安心して関われる場所をつくりたい

「言葉の習得」ではなく、「共生人材を育てる」というゴール設定

教育理念の再定義とビジョンの言語化

教師マインドセットの改革―教師は「教える人」ではない

日本語教師養成講座の構築―〝育てる文化〟の設計

採用基準・人事評価制度の刷新

教育者こそ、日々学び、問い続ける必要がある

「凡事徹底」こそ、信頼される

市民教育と地域共生の視点

社外への発信と信頼構築

「誰のための教育か」を問い続ける

 

第3章 地域と世界をつなぐ、日本語教育の再定義――「生活の中で育てる」地域連携型カリキュラム

地域の人との関わりにこそ、生きた日本語がある

「N1合格」の先に待っていた現実

地域での学びが、日本語を使う「意味」を育てる

地域とつながる体験の数々―交流・探究・発信

地域で「役割」を持つことの意味

留学生にとっての「自立」とは何か―進路・就職・その後

「学び直し」としての日本語教育

「学び」を地域へ届ける─地域資源を活かした学習活動

 

第4章 日本語学校経営のリアル 制度・ビザ・人材・収支――教育機関経営の独特な難しさと維持の工夫

理想だけでは成り立たない、学校経営の難しさ

なぜ経営が難しいのか―日本語学校を取り巻く制度的課題

日本語学校は、在留資格の「保証機関」

「入国管理制度」がすべて、という現実

教師確保と育成の難しさ

なぜ日本語学校は批判されやすいのか

教育現場を「見える化」することが、信頼につながる

「教育機関経営」の新しいモデルへ

 

第5章 ともに生きるという選択――ウクライナ避難民の受け入れと共生社会の実践現場から

傍観者で終わりたくない―ウクライナ避難民受け入れへ

教育機関としての強みを活かした支援へ

受け入れ準備─行政と地域との連携

福井で始まる新生活─学校が紡ぐ共生の日々

成長と新しい目標

支援の成果が支援者を支えた

制度の狭間で見えた課題

教育は共生社会の最前線になれる

小さなコミュニティから社会を変えられる

 

第6章 制度を動かす、地方発の教育実践――推進法は「始まり」でしかない

制度が整っても課題は山積み

新制度の背景と狙い―なぜ法整備が必要だったのか

新基準の課題とは

日本語教育機関未来創造推進協会(JLEFA)の立ち上げ

制度を活かすのは「人」

 

第7章 1000人の夢、専門学校の未来図――地方発グローバルモデル―教育・進学・就労の一貫支援へ

卒業後にさらに学びを深めるために

専門学校設立へ

日本語学校との違い

学生1000人規模の学校へ

カリキュラムの構想

専門学校経営の課題

 

エピローグ

 

◇井上俊秀(いのうえ・としひで)
1987年、福井県に生まれる。幼少期から野球に明け暮れ、大学時代には休学し独立リーグで野球に没頭。大学卒業後、アメリカに渡り野球を続けるが、アメリカでの体験に衝撃を受け、帰国しアスリートをサポートする企業を立ち上げる。野球の普及のためにカンボジアへ渡航した際に、日本語が上手な若者や日本に憧れを持つ人と出会い、彼ら彼女らが活躍できる受け皿を作りたいと思い、2016年に株式会社グローバルリンクを起業し、現在に至る。