TOP > web 連載 > 土曜日は灰色の馬 > 第1回 おはなしの神様は一人だけ

土曜日は灰色の馬
 『24』というアメリカのドラマがある。エミー賞も取った、話題作である。実際、ちょっとでも観てみれば、たいへんなお金と工夫と労力が注ぎ込まれた作品であるということは理解できる。製作者側の気迫というか、準備万端整えて制作に臨んだ意気込みが伝わってくるのだ。
 しかし、私はこのドラマを全く評価しないのである。というか、ちっとも面白くないのである。
 順を追って説明すると、このドラマの噂を聞いた時、私は一も二もなく「面白そうだ」と思った。是非いっぺんに通して観たいと思っていた。『セックス・アンド・ザ・シティ』以来観るべきドラマに出会っていなかった私は、大層このドラマに期待していたのだ。
 アメリカのドラマは、なにしろ世界で売ろうという目論見があるので、予算を掛けて丁寧に作られている。幼い頃には『ローハイド』、『奥様は魔女』、『スパイ大作戦』、『刑事コロンボ』、『チャーリーズ・エンジェル』などなど、長じては『ツイン・ピークス』『Xファイル』と、どれほどアメリカのドラマに時間を割いてきたことであろう。
 だから、わくわくして、体調を整え、時間を作り、噂のドラマ『24』を一気に見るべくスケジュールをやりくりした。
 ところが、三時間ほど観て、続きを観る気がしなくなった。それも、正直言うと、最初の一時間から、薄々その予感があったのである。それは時間が経つにつれはっきりとした確信に変わった。要するに、我慢しながら三時間観たのだった。しかし、三時間目に達して、この先観なくてもいい、私はそう判断したのである。
 実は、これは一度きりのことではないのだ。
 最初はツタヤからレンタルビデオを六時間分ほど借りてきて、一気に観る予定だった。そこで挫折して、暫く忘れていた。が、フジTVの深夜枠で何日かに分けて一挙放映という企画があり、局でも大々的に宣伝していたので、挫折したことを思い出した。ドラマに集中するには、体調や気力も影響するから、たまたまあの時はタイミングが悪かったのかもしれないと思い、もう一度チャレンジした。しかし、やはり数時間で挫折。更に、もう暫くして、自宅のマンションが加入しているケーブルTVでも一挙放映という機会があり、しつこく敗者復活戦を試みたのだが、それでもやはり途中で観る気が失せてしまったのだ。
 それがなぜかをこれから少し説明してみることにする。
 ご存知の方もいらっしゃるかと思うが、これは、リアルタイムで話が進行するというふれこみのドラマである。ドラマを見ていて一時間経過すれば、それはドラマの中でも同じく一時間経過しているという意味である。それを丸一日分見せようというわけだ。
 むろん、場所はめまぐるしく変わり、主人公がリアルタイムで追っている初のアフリカ系アメリカ人大統領候補の暗殺計画とは別に、彼の娘とその友人が夜遊びをしていて誘拐されてしまう事件や、その娘を捜すぎくしゃくした関係にある妻や、事件を起こすテロリストたちの行動なども並行して映し出される。リアルタイムであることを強調する演出として、何分か毎に、並行する場面を分割した画面で同時に見せ、秒を刻む時計の音が挿入される。非常に緻密さを要求される演出を、このドラマでは緊張感を途切れさせることなく成功させている──と思う。
 だがしかし。
 私には乗れないのだ。ハマりたいのにハマれないのである。
 観ているうちに、会議室のホワイトボードと、そこに書かれた人物相関図と、ドラマ内の分刻みのスケジュールと、それを囲んでブレインストーミングをしている脚本家たちが目に浮かんできてしまうのである。掻き消そうとしても、なかなかそれは消えない。TVの中の登場人物やセットの向こう側に、いつまでもぴったりとくっついて浮かんだままだ。
 そして、登場人物の台詞にかぶさるように、戦略を練り、真剣に協議するスタッフの声が聞こえてくる。
「職場にもう一人、怪しい人間を入れておいてはどうか」
「主人公の不倫相手と一時期つきあっていたという設定にしておけば、彼が彼女につきまとう理由ができるはずだ」
「OK、ここでこの男を映しておこう。いかにも嫉妬に駆られているという表情が、後の行動の伏線になる」
「番組終了の十分前だ。ここでもう一つ見せ場が欲しい」
「大統領候補の苦悩とジレンマを視聴者に印象づけておこう」
「今後の展開に絡む重要な場面だ。彼の上司に、さりげなくこのことを説明させておく必要がある」
「娘の友人の父親を、もっと意外な形で使えないか」
 その声がうるさいのなんの。静かにしてくれ、私はこのドラマにハマりたいのだ、と心の中で叫ぶのだが、ちっとも声は消えてくれないのである。
 私はかっちりと作りこんだ話が嫌いではない。むしろ、職人的に緻密な脚本こそがドラマの心臓だと思っている。しかし、それがドラマを観ている時に透けて見えては困るのだ。ドラマを観ている時には気持ちよく引き込まれたいし、スタッフの顔や声など感じたくない。夢中になって観て、終わってから振り返り、「ああ、よくできた話だなあ。あそことあそこにこんな意味があったなんて」と感心したいのだ。
 『24』の場合、なまじ大変な労作であり、スタッフも『どうだ、こんなに凄いことやったんだぞ』と思っており、その苦労に報われたい、という願望が強いためか、その大変さと努力がすっかり透けてしまっている。どんなに苦労しようとも、観ている客にそれを感じさせてはエンターテインメントとして失格だと私は思うのだ。
 しかも、このドラマに関していえば、もう一つ重要な問題があるように思える。
 おはなしの神様がいないのだ。
 おっと、お客さん、そこで引かないでください。私はすこぶる真面目である。
 そいつは何だ、どんな顔をしているのか、見たことがあるのか、と言われれば、さあ何でしょう、見たこともないし分からない、としか答えようがない。
 けれども、おはなしの神様は、確かにいる。
 映画やドラマの中で、全てを包み込み統括し、揺るぎない牽引力でもってストーリーを引っ張っていく、力強い何か。そういう存在が、優れた映画やドラマの中には必ず宿っている。メロドラマだろうが、ホラーだろうが、コメディだろうが、超大作だろうが、自主映画だろうが、関係ない。そして、そういう存在はいつも「一人」だけだ。顔は見えないけれど、強い個性を持った、決して抽象的ではない、唯一の存在である。
 それさえいれば、多少のアラや矛盾など、どうでもいい。観客はひたすらドラマの力に身を委ね、どんな遠いところでも、見たことのないどんな場所でも、おとなしくついていくし、少々乱暴に引きずりまわされても文句は言わない。
 『24』にはそれがない。身を委ねたくなるような先導者が感じられないのである。優秀なチームの存在は感じられるけれど、それよりも高次のところにいるべき神様は不在だ。
 別に、デビッド・リンチやサム・ライミなど、ビッグネームの顔が必要だというわけではない。実は、この『24』と同じ印象を、以前『ダーク・エンジェル』でも感じたことがある。あの時も数回で観るのをやめてしまったが、あれはジェームズ・キャメロンが制作総指揮を務めていたはずなのに、ちっともおはなしの神様を感じられなかった。長年温めていた企画だと聞いたが、全く生彩がなく、とてもそうは思えなかった。
 たとえて言えば、これらのドラマは修学旅行みたいなのである。
 修学旅行は、何年も前から予定が決まっている。お金を積み立て、準備をし、決まった日程に合わせて計画を立てる。「修学旅行」それ自体が目的であって、どこに行くか、何をするかは二の次だ。大勢の人間をいっぺんに連れていくことが前提であるから、おのずとかっちり細かいところまで定まった、それこそ分刻みのスケジュールを組んでおく。当然、スケジュールの消化がその目的となる。確かに大勢の人間が予定を消化したし、無事終わったけれども、生徒たちは何を観たかなんてろくに覚えちゃいないし、枕投げしか印象に残っていない。
 だけど、本来、旅行はもっと個人的な愉しみだったはずだ。
 どこかに行きたい、今まで行ったことのない遠いところに行きたい、見たことのないものを観たい。
 そんなふうに、「旅に出たい」という衝動があり、期待があり、目的があって、初めて旅が始まる。同じ欲望と目的を持った人が集まって、団体旅行になる。これが正しい順序のはずだ。
 なのに、「何かハラハラドキドキする面白いドラマ観たいなぁ」ではなく、「リアルタイムで進行する二十四時間のドラマ」という「野心的な」試みを行うことが目的であって、その目的にストーリーも登場人物も隷属させられる形になってしまっているのだ。目的は達成されたのだろうが、本来の、ドラマを観る愉しみは、二義的な地位にあまんじているのである。
 おはなしの神様は、「物語る」存在とも言い換えられる。
 映画やドラマが「物語られ」なくなって久しい。
 かつての映画には、とうとうと語られる「ストーリー」があった。おはなしの神様は、映画の一本一本に、ドラマの一回一回に宿っていた。今や「ストーリー」はなくなり、複雑化したプロットだけがある。もしくは、心象風景と称する、自分の話はしたいが人の話は聞きたくないという映画ばかりが増えた。映像作家は毎日生まれているが、映画監督は消えつつある。
 世界から三人称が消え、一人称のみの世界になりつつあるのだ。
 が、実は、三人称と一人称は同じものである。個人の一人称か、人間の一人称かの違いなのだ。恐らくは、そのもう一つ上のところに、世界の一人称があって、それを「語る」ことができるのが、おはなしの神様なのだと私は解釈している。そして、人間の一人称と、世界の一人称をイメージすることが、今どんどん難しくなってきているのだ。
 一人称が幅をきかす世界など、うんざりである。自己表現の映画なんか人に見せるな。あんたの心象風景なんて、興味ないっつうの。
 ──とまあ、頼まれもしないのにくどくど文句を並べてみたが、要は、何か面白いドラマが観たいだけなのである。三回もトライして挫折した『24』には、期待を裏切られたという恨みがあるのだ(それをこんなところで晴らしているとは、我ながらせこい)。
 それに、『24』って、なんか現場がピリピリしてそうだし、スタッフも登場人物もみんなストップウォッチ握りしめてそうで、ちっとも楽しそうじゃないんだもん。同じネタで、もっと低予算で面白いのが撮れるのに、といつも思ってしまう。そもそも、誰かの一日をトイレから風呂までぴったり全部一緒について撮れば、「リアルタイムで進行する二十四時間のドラマ」になると思うのだが──

(2005)


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