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ロンドンからマルセイユまで

第10回 美術と映像

(1)
ロンドンのテート・モダンでもパリのポンピドー・センターでも、展示場のあちこちに映画を上映する部屋がある。暗い通路を進んで厚い黒いカーテンをたぐって中に入り、スクリーンの光だけでベンチの空いた場所を見定めて座ったり、壁際に2列に並んで前方を眺めたりする。もちろん絵や立体が展示の中心だが、映像のスペースも充実している。
日本は美術館が小さくてスペースが少ないせいか、それとも美術の境界が厳しく、対等のスペースを映像に与えることを拒むのか、学芸員の意識が依然としていまだ美術と映像、とりわけ映画を区別して、対等に並べることに難色を示すのか、西洋美術の本拠であり、写真術の発明国であるイギリスやフランスの方が映像作品をアートの一部

鏡の写真、ポンピドー・センター

鏡の写真、ポンピドー・センター

として受け入れていることに抵抗がないように見える。日本はなににつけジャンルを伝統と勘違いして守り、市場の縄張り意識か封建社会の名残りか、境界を外すことに消極的である。エクス・アン・プロヴァンスのグラネ美術館でも「キュビスムの実験」と称して光と電子メディアの立体作品を展示して、観客をまるごとコンピュータによるキュビスム空間に取り込んで楽しませていた。
果てしなく続く政治談義とか、海からバケツで水を汲んで際限もなく砂浜にまく男の映像とか、ちょっと立ち寄っただけでは意味が掴めないものだが、動く映像に引きつけられて観客はいやおうなく数分間滞留する。ただ絵の前を通り過ぎるのではなく、スクリーンしか見えない暗い部屋で周りの仲間の顔は見えず、しかし一緒にいて数分なりと画面に集中していると、いっときの連帯感が生まれる。
 
 
(2)
ポンピドー国立近代美術館で2月13日まで「恒久コレクション展示:1905―1960」が開かれているが、われわれは20世紀初頭から美術革命の連続を経験してきたのだと思う。それは技術の革命でもあった。思想よりもその方が大きい。絵画はどう工夫し様式や素材を変えても、しょせんは目の前の壁にあるものを見るのであって、ダダイスムもシュルレアリスムもアブストラクトも、絵画と映画ほどの断絶的な違いはないのだ。エジプトのファラオの墓室の壁の薄浮き彫りと現代絵画と称するものの間に大きな違いはない。光と素材の使用法に、眼球を裏返させるような違いはない。それよりも太陽に向かって目をつむったときに目蓋の裏に映る美しい光の運動の方がはるかに美しく、不思議な動く模様がある。それはアニメや映画よりも幻想的で、身体的裏付けのある運動がある。血が通っているのが分かる。
ポンピドー・センターで一番はっとして注意を引いたのは、そこに家具や装飾品のようにあるがままにある絵や立体ではなく、鏡にプリントしてある写真だった。等身大よりも大きな鏡だから自分も会場の他の人物も映る。下の方に女がひとりかがん
 ポンピドー・センターの窓、パリ

ポンピドー・センターの窓、パリ

でいる。それだけが動かない。私や他の客と同じように鏡の中にあり、かがんだ女だけいつまでも同じ姿勢でいる。そのメディアというか反射する素材は光の扱い方が他のキャンバスや金属や木とはまったく違う。身を空け、部屋の光と空気を受け入れ送り返し、そこに私の姿も映るから映画よりも同時的な存在のメディアになっている。一般に表現とは素材に自分の姿を隠してこういうことをさまざまな形式でやっているのだ。

 
(3)
今ロンドンのテート・モダンで1月8日まで「ゲルハルト・リヒター:パノラマ」の大回顧展が開かれている。リヒターが最初にセンセーショナルな賛否両論の評判を呼んだのは、ドイツ赤軍を率いたアンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフ死刑囚が、ルフトハンザ航空のハイジャックが失敗に終わったと知って、1977年10月18日にグドルン・エンスリンとともにシュトゥットガルト刑務所の独房で同時自殺した写真をもとに、1年かけて描いた一連の黒白油彩画が展示されたときである。
11月7日付『ロンドン・レヴュ・オブ・ブックス』にT. J. クラークが「グレイ・パニック」と題してやや懐疑的な長い批評を書いている。かつて西ベルリン高等裁判所長、西ドイツ連邦検事総長、ドレスデン銀行会長などを爆殺したドイツ赤軍の同志、グドルン・エンスリンの記者会見(写真)や本棚で自殺した死体の写真をもとに、まるでモノクロ写真のように、しかしグレイのぼかしや映画の擦り傷のような縞を刷毛でつけて入念に描いた。デュッセルドルフなどのドイツの美術館がそのシリーズを購入しようとしたとき、市民はテロリストを肯定するものだといって猛反対したので、最後にニューヨーク近代美術館(MOMA)がおそらく巨額で購入した。にぎにぎしいオープニングのとき、招待客たちはまず関連資料の展示室でなごやかに談笑し、つぎに写真の部屋に入ったとたん、瞬時に重苦しい沈黙が支配したという。その写真とも見えるグレイの油彩画が今ロンドンにきている。
グレイネス(灰色)は色の中性であって色彩の死であり、絵画の唯一の現実性(物質性)を弱めること、死にいたらしめることである一方、その黒白の階調は写真表現の記録性=現実性への親近感を与えるものである。「私はぼかしたり汚したりしているのではない。[…]私が物をぼかすのは同質的な全体を作るためで、その結果すべては同等の重みをもち、また重みをもたなくなる。なにものも厚塗りで絵画的にならないように、テクニカルでスムーズで完璧になるようにぼかすのです。表面的でどうでもよい情報をぼかしているともいえるでしょう」と『ゲルハルト・リヒター 絵画100点』(1996)の中でビルギット・ペルツァーがリヒターの言葉を引用している。
川村美術館のリヒター展(2005-2006)に3メートル四方ほどの大鏡が2点壁に設置してあった。その暗いガラスはその前に立つすべての人間を包含し、また私ひとりだけを映してもいた。何本も刷毛を引いた色の帯から油絵具が垂れたり、脇にはみ出たりした抽象画もあった。金属やガラスの立体もあるが、リヒターが私の注意を引くのはやはり写真をもとにして模倣するように、しかもソフトフォーカスのようにぼかした、肌理細やかな油彩で、どんな素材を使おうと、二つのジャンルのあわいの表現はいつも私の想像力を両方に引き寄せたり、引き裂いたりして、その空間に幻想が浮かび、それが作品のイメージとなって楽しませてくれる。

 ゲルハルト・リヒター:グドルン・エンスリン 『ロンドン・レヴュ・オブ・ブックス』

ゲルハルト・リヒター:グドルン・エンスリン
『ロンドン・レヴュ・オブ・ブックス』

フェルメールにしてもピカソにしても美術の新しい表現はつねにこの重なりと分離から生まれてきた。その一方が科学技術の発明であることが多い。その道具はルネサンスの頃はカメラ・オブスキュラであった。19世紀は写真術そして映画、20世紀はテレビ、コンピュータと移ってきた。そのために絵画の伝統はつねに脅かされ批判されてきている。「だが絵画は閉ざされた箱ではない。疑問と新しい解決が探求され、磨かれ、肯定されることを求められている」とリヒターはいう。「要するに現実にいたる通路だ」とペルツァーがいうのには賛成だ。問題はそれが閉鎖的個人的なものでは通用しなくなっており、伝達性を要求されるようになったということだ。この経済的にも情報的にもグローバルになった現代世界では、個人主義的社会になっているようでいながら、その人間個人が希薄になり、記号的になっているからだ。